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神戸地方裁判所 平成7年(ワ)1046号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

池口勝麿

被告

全国労働者共済生活協同組合連合会

右代表者理事

佐野城次

右訴訟代理人弁護士

遠藤誠

主文

一  被告は原告に対し、金四〇〇万円及びこれに対する平成五年九月一一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

主文同旨

第二  事案の概要

本件は、原告がその夫の締結した共済契約に基づき、夫の死亡による災害特約死亡共済金の支払を請求するのに対し、被告が原告の夫の死亡原因は特約所定事由に該当しないとして支払を拒絶する事案である。

一  争いのない事実

1  原告の夫である甲野太郎(以下「甲野」という。)は、平成四年三月二日、被共済者を甲野及び妻である原告、基本契約死亡共済金を四〇〇万円、その死亡が不慮の事故等を直接の原因とする場合に支払われる災害死亡共済金を四〇〇万円、発効日を平成四年六月一日、満期日を平成五年五月三一日、共済金受取人を配偶者とする「こくみん共済・火災共済共済契約」(以下「本件契約という。)を締結した。

2  甲野は、平成五年五月二三日、米国カリフォルニヤ州ビバリーヒルズ市内のホテル六階より転落して死亡し、被告は本件契約に基づく基本契約死亡共済金は原告に支払ったが、災害死亡共済金四〇〇万円の支払を拒絶したため、原告は平成五年九月一〇日被告に到達した書面で右の支払を求める旨の催告をした。

二  争点

1  原告の主張

被告の事業規約(以下「本件規約」という。)には、災害死亡共済金の支払事由として不慮の事故等を直接原因とする死亡であること、また、ここにいう不慮の事故等には「高所からの突き落とし」「不慮の墜落」「その他詳細不明の墜落」が含まれることが規定されているところ、甲野の直接の死亡原因はホテルからの転落であって、かつ、その直前に売春婦が同室していたなど前後の状況からしても他殺の可能性がきわめて強く、これが不慮の事故に該当することは明らかである。

被告は、甲野の転落につき自殺の可能性を主張するが、仮にその可能性があるとするなら、本件規約では、事故が共済契約者、被共済者の故意によるときは災害死亡共済金を支払わない旨規定しているから、本件事故が自殺によることは被告が立証すべき免責事由に該当する。

2  被告の主張

本件契約においては、特約共済金支払の共済事由である不慮の事故等は、急激かつ偶然な外因による事故であって、ここにいう外因による事故の範囲は、昭和五三年一二月一五日行政管理庁告示第七三号に定められた分類項目中上記のものとし、分類項目の内容については「厚生省大臣官房統計情報部編・疾病、傷害および死因統計分類提要、昭和五四年版」によるとして不慮の事故の範囲を限定的に列挙しているが、「不慮か故意かの決定されない高所(住宅、その他の人工構築物、自然の場所、詳細不明)からの墜落」(分類番号E九八七)および「不慮か故意かの決定されないその他及び詳細不明の手段による損傷」(分類番号E九八八)が除外されている。

このような規定からすれば、保険金請求者において当該事故が被共済者の素因や故意に基づくものではなくて、急激かつ偶発的な外来の事由に起因するものであること(災害起因性)についての立証責任を負担すべきところ、本件は、現地捜査当局の捜査によっても転落原因が他殺ないし不慮の墜落か故意に基づく自殺かは確定できないのであって、このような場合、結局、事故の外因性に欠けるものとして不慮の事故に該当しないから、およそ災害死亡共済金請求権そのものが発生しない。

第三  判断

一  証拠(甲第七号証の一、第九、第一一ないし第二三号証、第三二号証の一、第三三ないし第四四号証、乙第三ないし第一九号証、第二〇号証の一、三)によれば、次の事実が認められる。

1  甲野(昭和九年二月一一日生)は、昭和三三年に原告(昭和七年九月三〇日生)と結婚し、長男一夫(昭和三五年五月一一日生)、長女春子(昭和三七年二月六日生)をもうけた。元は小学校教員であったが、その後、草創期の大手スーパーに職を転じて取締役社長室長まで務めたうえ退職し、コンサルタント関連の会社を興して約一〇年間大手各スーパーの出店業務の開発等に携わり、次いで、昭和六二年四月に乙田芳子(以下「乙田」という。)とともに資本金九〇〇万円をもって有限会社ティーエムアイ(不動産の高度有効利用計画の企画及び立案の受託、不動産活用に関する総合コンサルタント業務等を目的とする会社、以下「会社」とのみいう。)を設立した。しかし、実際に社業に従事していたのは甲野と乙田だけで従業員はいなかった。

なお、甲野は若いころから女性関係にルーズで、現に、右乙田とも前記大手スーパー時代から一七年間にわたり男女関係にあり、他に、丙沢正子との間に未認知の子供丙沢正男(現アラバマ州在住の大学生)をもうけている。

このような事情で原告と甲野の間に夫婦関係が途絶えて久しいが、後記のように婚姻関係が破綻するでもなく家族四名で人並みの家庭を保ってきた。

2  甲野は、平成二年ころ、会社業務の一環として三重県所在のトライス株式会社の米国工場の進出を手掛け、さらに、同社に請われて米国アラバマ州アテンズ市の米国トライス社(自動車用カーボンブラシの製造会社、以下「トライス社」という。)の社長に三年契約(報酬九〇〇万円)で就任して原告とともに滞米生活を送り、この間、篤志で現地の日本語学校長を兼務し、現地の日本人会会長に就くなどの生活を送った。

同人は、後日、トライス社を退社して帰国するに際し、日本人で二人目のアラバマ州名誉州民に選ばれたことを率直に喜んでいた。

甲野は在米中、多くの進出日本企業の要人と知り合い、同社退社の半年前から、次の事業展開として、乙田及び旧友の一級建築士である鷹見作平(平成二年九月に会社の取締役に就任している、以下「鷹見」という。)と新会社を設立してアラバマ州ハンツビル市及びジョージア州アトランタ市のいずれか、又は双方で進出日本企業の熟年単身赴任者のための賄い付きマンションの建築経営を計画し、日本から共同事業者である乙田、鷹見をハンツビルに招いて事業候補地三カ所を見分させるなどした。

右の事業はグリーンヒルズ計画と称し、甲野がジョージア州アセンズ市に常駐し、これまでの知識、経験を生かして立地の確保、行政上の許認可業務、建築業者との交渉を、鷹見が設計図書その他日本での業務一切を、乙田が両親とともに渡米して賄いを担当するもので、総事業費一億円の一部を右三名が等分で負担し(着工前に顧客が獲得できて予約金が入れば、各人の準備資金はそれだけ低くなる見通しであった。)、不足を銀行融資で補う計画であった。この場合、一番重要なことは顧客である米国進出中の日本企業の獲得であり、トライス社を退職後に自由に活動できる甲野がこれに当たることになっていた。そして、アラバマ州における事業展開については、すでにJ・T・コリンズに現地での協力を依頼していたが、同人は平成五年三月一八日付で甲野に対し、アラバマ州における事業展開は時期的には得策でない趣旨を申出ていた。

3  甲野は、トライス社の任期満了とともに慰留要請を断って退任し、平成五年一月に帰国し、右計画に本格的に着手して各所を飛び回り、同年三月、四月にも渡米した。また、甲野は、中国チンタオに完成する四五階建ビルの一ないし四階までのテナントの斡旋依頼をも受けていたが、しかし具体的な展開を見ていなかった。

グリーンヒルズ計画の事業計画書は平成五年の連休明けには完成し、甲野は、アトランタにおける需要調査と顧客の斡旋を依頼するため、トライス社の取引先であり、旧知のアトランタ三菱の木村副部長と面会すべく、同月一九日右事業計画書を携行して日本を発った。同人の航空券での旅程は、五月一九日から二日間香港に滞在し、成田経由で同月二一日ロサンゼルスに入って二六日まで六日間滞在し、同月二七日ロサンゼルスを発って帰国するというものであった。

なお、甲野は、出発直前である同年五月中旬ころ、かつて勤務した大手スーパーの副社長に二〇〇〇万円の借入を相談し、スポンサーがつくか否かまたその額により、帰国後改めて相談する旨を申し入れている。甲野のスーパーを辞めてからの収入には、スーパー出店のための広大な土地取得に関連する地権者、行政との根回しなどコンサルタント業という仕事柄、一度に数千万円単位の収入があるかと思えば、一、二年間わずかな収入しかない場合もあるなど波があり、それまでから交流のある大手スーパーの役員から個人的にたびだひ借財し、大きな報酬が入ったときにこれを返済して次の仕事に掛かるという生活を反復していた。

4  甲野は、予定通り、香港経由で同年五月二一日ロサンゼルスに着き(甲野がアトランタに出向く際はロサンゼルスに立ち寄るのを常としていた。)、同日、本件事故現場となったビバリーヒルズ市内のビバリー・リージェント・ホテル(以下「本件ホテル」という。)のビバリー館(南館)四八三号室に宿泊した。

甲野は、同日、何度かの見合いをしながら甲野との結婚観の食い違いから東京で自活する長女春子に対し、同女の結婚問題で国際電話をし、同日夜には二、三ケ月前にも同ホテルに呼んだ売春婦アンナ・アクバーガー(以下「アンナ」という。)を部屋に呼び、この際、翌日は趣味である競馬に行くと漏らしている。

甲野は翌五月二二日に六七九号室に部屋を変え、同日は競馬で遊興し、また、アトランタ三菱の木村に面会約束の再確認を取り付け、午後一〇時二〇分ころレンタカーを返却し、午後一〇時半ころには、婚外子であるアラバマ在住の丙沢正男に「米国に来ている。何か必要なものはないか。」との電話をし、同時刻ころ、友人の村上方に電話して、その婦人に村上のスケジュールを訪ね、後日村上に会いたいがアトランタから電話する旨を伝えている。

そして、甲野は、午後一一時過ぎには前日に引き続きアンナを部屋に呼んで前金で三〇〇ドルを払い、一一時一六分ころにはシーザー・サラダ、スモーク・サーモン、ロブスター・ビスク等々の食事と白ワインのルームサービスを注文し、アンナと二人で飲食した。

本件ホテルはロサンゼルスにおける甲野の二〇年来の定宿で、かつプールの見下ろせる部屋が好みであったため、最近でも、昭和六三年五月三〇日から六月一日、平成元年五月二六日から五月二八日、同年五月三一日から六月二日、そして平成五年三月一八日から二〇日、同年四月九日から一一日、同年四月一三日から一四日にも本件ホテルの南館に投宿し、平成元年五月二六日の宿泊を除いてはすべてプールの中庭の見渡せる五階、六階の部屋を指定している。

5  アンナは翌五月二三日午前一時から一時三〇分ころ甲野の部屋を辞去し、ロビーにあるエレベーターを出るところをホテルの従業員に確認されている。そして、午前二時ころから二時三〇分ころまでの間に、六七三号室の宿泊者が騒音ないし金属と金属がぶつかるような音を、また、階下三八一号室の宿泊者がどさっという物が落ちる音を聞いた(叫び声などはなかった。)。

同日午前三時五〇分ころ、本件ホテルを巡回中の警備員がプールテラス(二階に相当)に頭部を南側に向け、裸足の状態でブリーフとバスローブをまとって仰向けの状態で絶命している甲野を発見した。遺体の側にはスリッパ一足、喫煙パイプの火皿部分と柄の部分が分かれて発見され、遺体のすぐ側のアンブレラにはたばこの火で焼けたような跡があった。

検死解剖報告書によれば、死因は部屋の南側に張り出したバルコニーの西端から真下に落下したことによる複合打撲傷害(右肋骨骨折、右骨盤骨折等のほか数カ所の打撲傷)であり、両大腿部の後ろに足先から頭部に向かって加えられた長さ約六インチの皮膚のしわ寄せ(足先から頭部に向かって擦られた跡)があり、血液からミリリットル当たり0.90マイクログラムのディランティン(てんかん抑制剤)、ミリリットル当たり10.00マイクログラムのフェノバルミタル(催眠剤)、濃度0.12パーセントのアルコール(甲野はなにかの機会がないとアルコールを口にする方ではなかった。)が検出され、喫煙パイプの破片が後部喉から発見された(現地の捜査当局は、甲野が地面に落下直前までパイプを吹かしていたと推測している。)。

甲野は未成年時代から夜行性てんかんの持病があって、就寝後二、三〇分して発作を起こすことがあり、遅くとも昭和五〇年ころから毎晩就寝前に抗てんかん剤一錠を規則正しく服用して床に就き、一四年前を最後にほとんど発作が見られなくなっていた(原告は結婚後、三回だけ発作を目撃しそのうち一回は救急車を呼んでいる。)。

右ディランティン、フェノバルミタルは発作抑制のために服用されたものであるが濃度は低いものである。

部屋には、甲野とアンナがともにした食事の跡が残され、客室、バルコニーともに争ったり荒らされた形跡はなかったが、ドアは内側からダブルロックされておらず(甲野は用心深く、常々ドアは就寝前にダブルロックしていた。)、テレビ、電気スタンドもつけ放しで、折り畳んだパジャマがベッドの上に置かれたままであった。

発見された所持品の主たるものは、日本円で五万四〇〇〇円、米国ドルで一八六八ドルの現金と一〇〇〇ドルのトラベラーズチェック、多数枚のクレジットカード、帰国用の航空切符、香港で購入した土産用の香水、サンフランシスコ、ロサンゼルスの観光地図、推理小説、カメラ、「中国における不動産開発及び運営の実務」と題する冊子、アラバマにおけるグリーンヒルズ計画書、設計図、ロサンゼルスタイムズ、競馬プログラム、競馬のフォーム、番号を書いたメモ、茶色い髪の女性の写真、衣類の入ったスーツケース等々であった。

甲野は海外旅行慣れしていて現金の代わりにカードを持ち歩き、アメリカ国内での飛行機での移動にはカードを示してカウンターで航空切符を購入するのが常であった。

甲野の身長は157.57センチメートルでバルコニーの手摺りの立ち上がりの高さは一〇九センチメートルもあり、甲野が過ってバルコニーから落下するような状況になかった。

右の状況から現地警察では、甲野の死を自殺他殺の両面から捜査し、当初、最後に部屋にいたアンナ、同女のホテルへの送迎兼用心棒としてホテルの外で待機していたその夫(昭和六二年二月売春代金の取立てのもつれから強盗容疑で逮捕されたがこのときには処分はなく、平成四年一月、泥酔して妻であるアンナに傷害を負わせて執行猶予中であった。)に疑いを掛け、同年一一月夫婦を嘘発見器に掛けたが反応はなく(なお、当時、アンナは甲野の部屋に在室して食事までともにしているのに、同部屋からアンナの指紋は一切検出されていない。)、他殺の可能性を裏付けるものがないとして、結局、自殺の可能性を否定しきれないとの捜査報告をまとめた。

6  甲野は死亡時において、東芝ファイナンスに六〇九八万二六八五円、ビッグコーポレーションに一七六四万円、福徳銀行に七二〇万円、京都銀行に三三六万五〇〇〇円、乙田の父政吉に四〇〇〇万円、丙沢正子に三七〇万円の借入金債務、カードローン他の未払債務三〇三万二一〇〇円、以上合計一億三五九一万九七八五円の債務を負担していたが、抵当権の実行や強制執行を受けるなどの状況は存在しなかった。

一方、同人の資産としては、居住用住宅(借地権を含む)二五三五万六四七二円、有価証券六六万〇〇二〇円、現金、預貯金計一五六万一八八三円、ゴルフ会員権三一五〇万円、以上合計五九〇七万八三七五円のほかめぼしい資産は見当たらない。

原告と甲野の夫婦関係の実態は先のとおりであるが、甲野は会社経営のことは家庭ではほとんど話題にしないばかりか妻である原告が口を差し挟むのを嫌い、原告に対し一度に何十万円かの生活費を渡し、不足の場合はこれを補うなど不規則なものであったが、生活費で原告に不自由させたことはなかった(甲野がこのような形で生活費を渡すのは結婚当初からで、原告は転職のときも事前に知らされず、給与明細さえ知らなかった。)。

なお、会社はほとんど資産とてないうえ、平成五年三月期の累積債務が四八〇〇万円に達し、営業的には赤字続きであり、甲野、乙田の役員報酬、原告に対する給与の支払も遅滞したままであった。

7  甲野は本件契約のほか、自己を被保険者、保険金受取人を原告ないし法定相続人とする次の保険を付保していたが、原告が前記借入金と保険の詳細を知ったのは甲野の死亡後である(なお、左記に特約保険金というのは、傷害特約、災害割増特約のいずれかに当たるものである。)。

(一) 住友生命

死亡保険金 五〇〇〇万円

特約保険金 五〇〇〇万円

(二) 日本生命

死亡保険金 二五〇〇万円

特約保険金 二五〇〇万円

(三) 簡易生命保険

死亡保険金 八〇〇万円

特約保険金 八〇〇万円

(四) 平和生命

死亡保険金 五〇〇〇万円

傷害特約保険金 五〇〇〇万円

(五) A・I・U

(1) 普通傷害保険(ダイナースニュービップ保険で、ダイナースカードの会員が特別の申込手続をして加入するもの。)

二五一三万円

(2) 海外旅行傷害保険(ダイナース海外旅行補償制度でダイナースカードの会員が特別の申込手続で年間を通じての海外旅行傷害保険に加入するもの)

七五〇〇万円

(3) 海外旅行傷害保険(ダイナースインターナショナルカード付帯サービス保険で会員が海外旅行の際、自動的に加入扱いを受けるもの)

五〇〇〇万円

これら保険のうち(五)(1)の保険は大手スーパーに勤務する時代に海外に行く機会が多くなり、ダイナースカードに勧められて二〇年も前に加入したものの更新分であるし、一番新しい保険も死亡する二、三年前に切り替えた住友生命の生命保険で、死亡直前に新たに加入した生命保険や傷害保険は存在しない。

二  右認定事実に基づき検討する。

1  まず、甲野が午前一時から一時半ころアンナと別れ、午前三時五〇分ころ遺体で発見された事実と付近の部屋の投宿者が午前二時から二時半ころまでの間に騒音ないし金属と金属がぶつかりあうような物音、さらに重いものが落ちるような物音を聞いていることからすれば、甲野が転落したのはこの時間帯であったことを疑う余地はない。

そして、一五七センチメートル余という甲野の身長と一〇九センチメートルというバルコニーの手摺りの高さを対比し、同時に、後記のとおりその両大腿部の後部に皮膚のしわ寄せがある事実を想起するとき、甲野が酔余過ってバルコニーから転落した可能性を論じることは現実的ではなく、また、持病のてんかん発作による意想外の転落の可能性を検討するとしても、同人の発作の出現が就寝後を常とするのに、甲野がその直前までアンナと過ごし、パジャマすら折り畳んだまま放置され、テレビや電気スタンドもつけっ放しであったとの事実関係をみれば、甲野はベッドに就く前に転落したとみるのが自然であるから、発作による転落を考慮することもこれまた困難というべきである。

したがって、本件転落原因は、過失に基づかない覚悟の自殺あるいは他殺のいずれかである可能性が極めて強いといわねばならない。

2  そこで、中心的な事実である転落前後の状況を検討してみる。

(一) 本件転落直前の状況として、まず想定できるところは、内部から自動ドアロックされ、甲野一人が在室する密室構造のホテルの部屋で起こった事故であるとの可能性であって、1の点を考慮すれば、もし、この際、他に在室者がなければ、それはすなわち甲野の意思により転落したとの推論を合理化するもので、他殺の可能性は排除されるものというほかない。

(二) 問題はアンナ夫婦である。甲第七号証の一、二、乙第七号証によれば、甲野の知人、友人、家族のいずれも、甲野が自殺を念慮するタイプでないことをこぞって強調しているところ、アンナは甲野の転落に接着した時間に最後まで部屋に在室した人物であり、しかも、ホテル外には用心棒を兼ねた前科持ちの夫が待機していたのであるから、もし、他殺を考えるとすれば、この夫婦に結びつけて考えるほかないからである。

しかし、前記認定のとおり、甲野の転落時刻が午前二時から二時半ころまでの間であったのに、アンナが仕事を終えて甲野の部屋を出たのは午前一時から一時半ころであったことは、その時刻にアンナがホテルから帰るのを従業員が目撃している事実に徴し、容易に動かすことのできない事実である。

したがって、もし、この二人の本件転落への関わりを検討するとすれば、それは、二人して、あるいはそのうち一人が甲野の部屋に舞い戻って犯行に及んだことの可能性を検討するほかない。なんとなれば、甲野の部屋はアンナの帰った後は、構造上自動ロックされているはずであるから(アンナが部屋を出る際、物を挟むなどの細工をすれば別論であるが、ドアまで甲野に送られているであろう同女がそのような細工ができた可能性は小さい。)、外部からドアを無理矢理こじ開けて侵入することは困難であるし(その後の捜査でも、そのような事実は認め難い。)、夜中のことであるから、その後、見知らぬ者がドアをノックしたとしても、海外旅行慣れした甲野が安易にドアを開けたとも考えられず、結局のところ、甲野が気を許せる相手すなわちアンナ以外にドアを開けさせる人物はないと考えられるからである。

(三) しかし、乙第七号証によれば、アンナは地元の売春婦で、甲野がルームサービスを頼んだときに係員に顔を見られ、さらには言葉さえ交わしている事実が認められるから、そのような状況の下に安易に甲野の部屋に舞い戻り、単独または夫婦して同人を襲うことは、通常の人間心理に照らしても安易に考え難いものがある。

そして、同夜、同ホテルのロビーには、アンナが午前一時から一時半ころに帰るのを目撃していた従業員が勤務していて、夜中の二時前後に外部から不審な人物がホテルに入れば当然これに気付いたとしても不自然ではないが、そのような事実関係を認めるに足る証拠は発見できない。

もっとも、乙第七号証のビバリーヒルズ警察の追跡調査報告書によれば、同夜詰めていた従業員は「深夜一二時から翌朝八時までの勤務時間のうち、本件現場となった南館に配置されているのは、勤務時間後しばらくの間である」と報告されているから午前二時ころまで南館のフロントに居たとは限らず、この時間に、アンナないしアンナ夫婦が従業員に目撃されることなくホテルに舞い戻ること自体は決して不可能ではないことを留意すべきである。

(四) 仮に、甲野が、再び部屋に招き入れたアンナないしアンナ夫婦に突然襲われたとすれば、夜中の二時ころというホテルが静寂を取り戻した時間にかかわらず、抵抗する甲野の叫び声や言い争う声をわずかでも聞いた人物は付近の部屋の投宿者には一人とていず、さらに、部屋が荒らされたり物が盗まれたりした形跡が皆無であるとの事実は、アンナないしアンナ夫婦が突然甲野を襲ったと考えることの困難性を裏打ちするものである。

そして、現地警察が本件の転落を自殺他殺の両面から捜査し、当初、アンナ夫婦に嫌疑を掛けて取り調べ、また、嘘発見器にも掛けているのに反応が出なかった事実は、アンナ夫婦が甲野を襲ったとの可能性を減弱するものといわざるを得ない。

(五) 右のように検討してみれば、本件転落は他者の介入を排除した甲野の自殺行為と見られないでもない。

しかし、本件は海外での事故であり、その多くを乙第七号証を中心とする現地警察の捜査結果に依拠するほかないが、いうところの乙第七号証の追跡調査報告書にも、これを鵜呑みにすることの疑問を払拭できないところがある。すなわち、甲野の部屋からアンナの指紋がまったく検出されなかったとの報告である。乙第七号証によれば、アンナは、少なくとも一時間以上甲野の部屋で過ごし、この間にはルームサービスによる飲食をし、バスルームやベッドを使用している事実が明瞭に認められるのに、現地警察の捜査では、甲野の部屋はおろか、その食器類からもアンナの指紋がまったく発見できなかったというのは、その間に指紋の拭き取り等の人為が介在しなければ容易に考え難いことであり、右事実はかえって、アンナ夫婦が犯行後入念に指紋を拭きとったとの推論さえ可能にするものである。乙第七号証によれば、現地警察も、アンナが部屋で飲食したことを掴んでいることが認められるから、そのアンナの指紋を食器からさえ採取できなければ、それこそ事態は新たな局面を見るはずであるのに、係る単純な疑問点さえ右追跡報告書には明らかにされていない。

(六) また、甲野の遺体の側に喫煙パイプの火皿と柄、スリッパ一足が残り、喉から壊れたパイプの破片が発見され、付近のアンブレラにパイプの火によると見られる焼痕が存した事実は、甲野がスリッパを履き、パイプをくゆらせたまま転落し、落下時の地面との衝撃でパイプを破損した事実を推測させるものであるが、覚悟の自殺者が、スリッパはともかくとして、火のついたパイプを口にくわえたまま転落するというのは、自殺態様としては奇異な感じを否めない。

さらに、部屋のテレビや電気スタンドがつけ放されたままで、しかも、甲野の血中からてんかん抑制剤が検出されたとの事実は、同人が自殺云々以前のこととして、就寝の準備をしていたことさえ窺わせるものである。

(七) さらにまた、乙第三、第七号証によれば、甲野の大腿部にみられた皮膚のしわ寄せは、当時の現場の状況に即して現地警察の解明したところによれば、甲野が手摺りの外で手摺りを背にして足先から先に、しかも手摺を擦るように落下した際、手摺りとの摩擦で加えられたと報告しているところ、仮に甲野が覚悟の飛び降りをしたとすれば、明確な擦過傷を残すほどに手摺りと身体を摺り合わせるような行為をするはずがないと考えられ(仮に、自殺の実行を前にして幾度も逡巡したとしても、擦過傷まで残すのは不自然である。)、この点は、むしろ、なんらかの原因で自己の意思によらず落下せしめられたと考えれば素直に理解できるものである。

3  そこで、続いて自殺動機の有無について検討する。

(一) 甲野の経営する会社に四千数百万円の累積赤字があり、甲野も一億三〇〇〇万円を超える借財を抱えていたうえに、多額の保険に加入していたこと(本件契約をも加えれば、その保険金は四億円を超えることが予測される。)は前記認定のとおりであり、この事実は、本件事故態様もあいまって、抽象的には保険金目当ての自殺動機の存在を窺わせないでもない。

(二) しかし、もともと、右の債務のうち四三七〇万円は、前記の関係にある共同事業者乙田の父、あるいは前記のような関係にあった丙沢正子に対するものであって、それ自体厳しい督促にあっていたとも思えないし、その余の債権者もれっきとした大手の会社で、しかも、甲野が競売の手続を受けたり強制執行を受けるなどの事態にまで至っておらず、甲野自身も換価可能な大口資産であるゴルフ会員権さえ手放していない状態にある。

かてて加えて、甲野は会社経営といっても実態は愛人と二人で営む個人会社に等しく、その収入は仕事柄大きな波があり、また、大手スーパーの経営者とも親交があって人的資産も豊富ということができるのであって、右の程度の負債を抱えたからとて、いまだ五九歳で事業欲に燃える生命を簡単に絶つとは容易に考えがたい。

(三) 甲野の今次の渡米目的は、米国でのトライス社勤務を終えて次の事業展開(グリーンヒルズ計画)を実行するためのスポンサーの確保であり、渡米自体は連休明けにグリーンヒルズ計画の青写真が完成したため、共同事業予定者とも打ち合せた予定に従って実行されたものであって渡米の動機や経過に不審な点は見当たらない。前記のとおり、グリーンヒルズ計画のうちアラバマ州におけるそれは決して見通しの明るいものでなかったが、ジョージア州におけるそれには問題があったとは認められず、ともかくも、甲野自身右事業に意欲を燃やしてアトランタ三菱の担当者と面会約束を取り付けていたし、右事業が失敗に瀕していたと認めるべき資料は存在しない。

前記認定のとおり、甲野は、米国出発前に知人に二〇〇〇万円の借入を申入れており、これはほぼグリーンヒルズ計画における甲野の負担分の捻出を前提にしたものと推測されるし、甲野が本件ホテルから息子である丙沢、長女である春子、さらには知人の村上方に電話をし、土産や帰国のための航空切符まで準備していた事実を、自殺をカムフラージュするための作為とみるのは飛躍があるといわねばならない。

(四) 前記のとおり、甲野の付保した保険は生命保険、傷害保険の双方に及び不慮の事故で死亡した場合の特約保険金を含む保険金額は同人の借財を一掃して余りある金額に達している。

しかし、これら保険も、古いもので二〇年余り前からの更新分であり、新しいものでも転落の二、三年前に加入したものであって、いわゆる保険付保に伴うモラル・リスクを直ちに考えることはできない。

4 以上検討したところによれば、本件の転落事故は一応甲野一人が在室中に起こった転落事故である可能性が強いが、同時に、転落前後の事実関係が故意による転落を考えるには不自然な要素も存し、なによりも、甲野の生活史、生活状態から自殺動機となるようなものは見出すのは困難というほかない。

そして、自殺は人の死亡原因の例外的事象であって、相応の理由がなければ容易にこれを肯定することは経験則に合致しないことをも勘案すれば、本件の転落事故は自殺、他殺のいずれとも決し難いというのが相当である。

三  そこで、被告は、本件規約上、事故が故意(自殺)によらないことは共済金の請求者である原告の立証事項であることが予定されていると主張するのに対し、原告は、事故が故意(自殺)によることは被告の立証すべき免責事項である旨反論するので検討する。

1  乙第一号証、第二号証の一、二、第二一号証によれば、本件規約では、災害死亡共済金の支払事由は、不慮の事故等を直接の原因として共済期間内に死亡した場合とされており、ここにいう「不慮の事故」とは「急激かつ偶然な外因による事故」で、昭和五三年一二月一五日行政管理庁告示第七三号に定められた分類項目中、同規約添附の別表に列挙されたものとされ、分類項目の内容については「厚生省大臣官房統計情報部編、疾病、傷害および死因統計分類提要、昭和五四年版」によるものと規定し、その別表には、分類項目として1(鉄道事故)から20(戦争行為による損傷)[右分類提要の基本分類番号E八〇〇〜九九九までのうち後記のものを除く。]を掲げ、最後に21(その他この会が特に定めた場合)を規定していること、この中には、原告主張の「他殺および他人の加害による損傷」中の「高所からの突き落とし」(基本分類番号E九六八1)、「不慮の墜落」(基本分類番号E八八〇〜八八八)が含まれているが、同時に、固体、液体、家庭用ガスによる「自殺、自為中毒」、縊首、絞首、入水、刃器、刺器、高所からの飛び降り、その他及び詳細不明の手段による「自殺、自傷」(基本分類番号E九五〇〜九五九)、「不慮か故意かの決定されない」固体・液体・家庭用ガスによる「自殺、自為中毒」、また、縊首、絞首、窒息、溺水、銃器及び爆発物による損傷、刃器・刺器、高所からの転落、その他及び詳細不明の手段による「自殺・自傷」、さらに、自傷の後遺症(基本分類番号E九八〇〜九八九)が除外されていること、そしてさらに、本件規約五二条一項(1)号には「被共済者の故意または重大な過失によるとき」には災害死亡共済金を支払わない旨規定していることが認められる。

2  右によれば、本件規約では、不慮の事故の要件として、急激性、偶然性、外来性の三要素を明示しながら、一方では、「故意による」場合(偶然性の欠如)を免責事由としているのであるから、これを本件に即していえば、故意か否かの決定されないという事実状態は、表面的には、一方では権利根拠規定とされ、また一方では権利障害規定とされるという矛盾を包蔵しているものといわざるを得ない。

しかし、本件のような傷害特約においては、事故の偶然性は共済(保険)契約の本質的な要素であって、偶然性を欠く事故が傷害特約保険(共済金)金の支払事由となることはあり得ず、同時に、故意か不慮かの不明な事故は、それ自体偶然性の存在を主張することができないはずであって、その意味では、本件規約に引用する別表が「自殺、自為中毒、自傷」という明白に偶然性を欠く事故、また「故意か否かの決定されない」という偶然性の存在を主張できない事故を除外しているのは、共済(保険)契約の本質からして当然のことを確認的に規定しているだけであるとも考えられ、それ自体別段異なこととは思われないから、その本質の定義と立証責任の分配は自ずと別個に判断されるべきものというのが相当である。

思うに、本件規約の引用する前記分類提要は、もともと共済(保険)事故を定義する目的で定められたものでなく、疾病、傷害、死因の分類という厚生施策上の統計を目的として定められたもので、それゆえ、権限ある厚生当局により「故意か否かの決定されない」との項目が統計項目として設けられたものと推測される。しかし、一般の契約においては、このようにあたかも立証責任に関連するような規定を契約条項に置くこと自体通例見られないところであり、しかも、前述のように、本件規約では「不慮の事故」の定義とは別個に五二条一項(1)号において、故意による場合(偶然性の欠如)を免責条項として規定していることを考えれば、これらの規定を整合性を保つように解釈するとすれば、共済金請求者である原告において、事故態様が前記分類提要所定の事故であることを立証すれば、事故が故意によること(偶然性の欠如)は、共済(保険)者である被告の立証すべき抗弁事由に当たるというのが相当である。

四  そうとすれば、本件転落事故は、外形的には高所からの転落に該当し、かつ、これが故意によることの主張、立証がないから、原告の本訴請求は正当として認容すべきである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官渡邉安一)

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